sengokumusou





調べる事にしたのは
TVの番組で
怪しい話
「蘭丸の他に外国人を身近に置いていたらしい!
SASUKEと名前を付けて可愛がっていたらしい」


此処からだった

それから専門書みたいなのを読んだ。
TVでは本能寺の変で誰も助からないって言っていたが
居るじゃん!信長の弟、長益と信忠の子秀信。
明智光秀の軍隊一万三千人と言われるが京を囲んだが穴があった。本能寺の変だけでも読んでると面白い。光秀は鉄砲や火薬にも詳しかったらしい。それで信長が!って思いました。
堺の商人 今井宗久(いまい そうきゅう)。今井は千利休の師匠タケノジョウ オウの娘婿で信長の蔵元。
鉄砲調達の為に堺へ〜その流れで秀光はお茶やお歌が上手いとかを知った

織田信長を知らない私
日記・・・
書き過ぎて
溜まりましたので此処へ移動しました。
素人なので詳しく知ってる方は
許してやってください



戦国無双の蘭丸 / 2004.07.09 [Fri] 02:34
・・・名前からして妖しいス
もちぃっと男らしい名前は無かったんだろうか?
例えば力丸とか(何だそりゃ)
いや まだ別名あるかもしれないけど戦国時代分からないです。このゲームに会わなかったら、コーエーの無双に会わなかったら歴史には無縁な私。それを思うと感謝 感謝です。で安土城跡を見に行った時 蘭丸の家は信長に近かったし信長守る感じが好きだ。
で 信長も好きだ。話ではイイ男だったらしい。でも想像図では首を捻るけども若い時は女のように凄く美形だったらしいと書いてあった。
そして怖い!そこがいい。戦い好きで騒がしそうなトコロとか それに付いて行く蘭丸は凄いなって思う。



槍 / 2004.07.27 [Tue] 04:41

時代劇に槍を用いる場面が少ないと本に書いてあった。
江戸後期は動作が大きく槍の穂の形も変わっていたらしい。
でも戦国時代 動き難い鎧では基本的な動き。動きは少なく正確に狙う。
内兜喉輪の間、脇の下、脇の内、腹草褶の間が突きポイント。
明智光秀の家臣で本能寺で森蘭丸を討ち取った安田作兵衛が槍の心得として「槍は突くな。柄ばかりを引いて繰り出すように心掛けよ。その際、石突きに気を使え」
柄は持つトコロ。石突きは槍の尻。
遠くから目標に向かって柄を押し出す。その時、石突きが 何処まで引っ込むか注意しないと相手に柄を握られたり内懐を切られると作兵衛は若者に助言を与えたらしい。
槍は突きの他に斬ったり払ったり叩いたり。また相手の長い槍を踏みつけて刺し返すような形もある。
別の本に斎藤道三の事が書いてあった。この人は これからは槍がこの世を制すると言った人だそうだ。練習も凄くしたらしい で!本には面白い事が書いてあった。
天文二十二年信長と会った時に槍の柄は朱塗りの漆で長さは6.3メートルと長い。三階にいる敵も抜く事ができる。派手な槍です
全員が6.3メートル槍を持ってるわけじゃなく信長の周りの者だけらしい。
ずらーっと並んだ鉄砲部隊と槍部隊を見た道三は何も言わずに帰っていったと『信長公記』に書いてあると紹介されていた。その後に「槍がこの世を制する」と言ったのかな?と想像するのだが どうでしょう???
・・・戦国猛将伝発売したらしいけど まだコンプリしてません。三国無双と違い、どうも登場人物が難しい。



本能寺の変斬り! / 2004.08.21 [Sat] 06:21
本を読んで信長を少し学んだ。自分の中ではTVで信長の話だけを知っていたが違うので少し驚いた。
本能寺の変で助かってる人って居るじゃん。一人だけみたいな事を言っていたが・・・
何か悔しい
信長を学ぼうって思ったのも戦国無双からって単純な理由からです。
その前は三国志。そう!三国無双から・・・
いいのか!こんなんで!いいのか!
何かイメージ違うって思って学び始めた。
本能寺から斬ってるんですが今日は襲撃ルートと謀反の明智光秀を読んでみた。
光秀は火薬や鉄砲にも詳しいとは知らなかったです。
細い目で そうか〜そうなのか〜って納得する自分。
で深く読んだ。
信長の蔵元堺の商人と仲良くなって色々と幅広い教養を身につけたみたいだ。
でも登場人物が よく分からないが光秀の最後は読んでいて胸が痛いです。
信長は人を見る目があるのに人扱いが悪いように思えるが光秀は逆で接待役もしていたし、でも最後には皆冷たいス。そこんところ泣ける。
凄しいほどに激しいく歴史が動いたのが分かりました。読んだ感想はテレビ番組みたいだ。また読んで不思議発見!



織田信長 / 2004.09.15 [Wed] 05:55
戦国無双しか知らない私、昨日 また本を借りて勉強しました。
江戸の「常山記談」に書かれてる話で室町幕府を滅亡に追い込み、敵対していた三好義継を自害させたその時の三好家に仕える料理人を入れる際に信長は吟味してから決めたいと言った。料理人・坪内某は腕によりをかけて作った。
織田信長は高級京料理を「まずい!!!コレを作った坪内って料理人を殺せ!」
田舎料理のコッテリ味にしたら喜んだと信長の味覚オンチが書かれてあるらしい。
しかし 1538年頃の尾張統一から1582年の本能寺の変にいたるまで、実に124回の合戦記録があるそうです。凡そ4カ月ごとに戦いに出てる事になります。東奔西走生活の信長は汗をかき塩分を失うはず。京料理の薄味では水っぽく感じたに違いないと書かれてました。

明智光秀 チマキ笹子ごと食うも面白かった。前回 本の中で御籤を何度も引く話を読んだ。その続きが書いてあった。寺僧の出したチマキを笹子ごと食べたそうだ。
何故に?三つの事が書いてあり その中に天下の大事を行う光秀には心此処にあらず状態の気が集中していて そのままパクリと食べた。。
うむ これが一番可能性があるなって思ったけど最後に書いてあった魔除?チマキの形には それがあるらしい。
食う事で効果を期待したのではなかろうか?そんな事が書かれていた。この最後説が光秀らしいかも。



草餅 / 2004.09.17 [Fri] 16:15
今日は絵で落込んで運気アップで明智光秀のように和菓子を買いました。
チマキは売ってなかったので草餅で我慢です。
草餅は母子草やヨモギの葉を入れて搗いたお餅。
五月の端午の節句がチマキなら三月は草餅節句なるものがあるらしい。
季節外れだが草餅を葉と共に食した
・・・・
いや やっぱし 葉だよ 葉・・・・

あの笹の葉話の光秀説が家族内で話題になった
で 多かったのが ウッカリ食った説です。
自分は〜やっぱし籤運悪いから食ったと思うんだけどぉ どうじゃろう?
なかなか面白かった。芭蕉忍者説以来の盛り上がりでした。



信長 / 2004.10.03 [Sun] 08:25
信長説を色々読んでるんですが 本能寺の変 本には あの夜、森蘭丸の部屋に信長がいたらしい。真面目に自分の部屋はなかったのか!
そう 思った。
ちゃんとした本を読んでいるんですが 分からん・・・なぜに?
それは それでいいのだが 自ら炎をつけ骨をも燃え尽きた。敵側に首など渡すものか!そんな気持ちがあった?
謀反は光秀だと知った時 自分の死を考えて その選択をした。
逃げて生きてる説もあったが信長の性格から逃げないだろうし 骨が見つからない光秀は大変だったと思う。
なぜ居ないのか!あの性格から必死になって探したと思う。
もう一説は誰かが持って行ったってのもあったけど〜何だか信長の この消えるってのは 私の中でも不思議な怖い感じがする。
・・・何だか そう考えると勝利者って信長だったのかも。



寿限無 / 2004.10.14 [Thu] 01:40
寿限無〜寿限無〜五劫の擦り切れってNHKのおかげで言えるんだけど
寿限無の意味を気になるので本を借りて読んでみた。 不思議な言葉が並ぶパイポって何?もろこし(中国)にパイポって名の地名があって シューリンガン王とグーリンダイという名の后に2人の娘ポンポコピーとポンポコナーだそうだ。 ・・・知らんかった。
それはいいんだけどね。
また
織田信長を追いかけてました。伝道師フロイスの記録では身長165cm前後 体重60前後。・・・信長と私同じぐらいだわ。体重は違うけど。ある本では平均身長は中学校ほどって言うから少し背の高い方に入るのかな?
で!何故に謀反を犯したのかが気になってみてるんだけどね。
本には「うつけ者」の型に嵌らない信長を真面目な光秀は気に入らない。本では野望に燃える光秀となっている。
戦国時代は身分が低くても出世する時代って書かれてあった。で信長の周りは身分が分からない人が多いで爆笑主君が上に上がれば皆 上がる。
何か違う気がするので別のを読んでみた。優し過ぎる光秀が書かれてある。仲間意識の高いって言うか人間味のある考えと どう こいつを動かそうかってコマのような考えの織田信長。墓石を踏み台にするんだもんな〜怖いヤツです。逆に弔う光秀。まったく違う。
狙うチャンスって何度も無い。ギリギリまで恩なども感じたり主君を裏切る そんな思いが渦巻いていたのかな?二度目の本はイメージがピッタリきました。
で・・・
はじめてTVで見た信長に会ってから〜どうも 怪しい番組だ。
織田信長が光秀の奥方に手を出そうとしたら逆に信長が張り倒されて恨んで酷い仕打ちって言っていたが!くそ〜TVめぇ調べたら違うじゃないか!昼ドラみたいな事を!!!!
何か はじめの一歩の千堂が鷹村の熊倒し記事が気になって一歩に電話かけて確かめる話がある。あれと同じだ!
今、豊臣秀吉なんか気になる。鬼武者にも戦国無双でも登場していた。藤原秀吉とか羽柴秀吉とか木下藤吉郎とか三回も出世魚みたいに変えている。
・・・まったく知らない人だから これでパニックになった。

歴史好き / 2004.10.30 [Oct] 01:31
明智光秀の居城・亀山城(亀岡)から愛宕山を登るときに通ったとされる道を「明智越え」と言うそうです。
姿は万全な体制で臨む方がイイ。安土城跡も山登り風がヨロシイ。
夏休みに行った時 日傘とヒールで来た方がいたが入り口で帰って行ったよ。気分は昔の人になる。歩いて体験したいです。少しは歴史好きになるかもしれない。



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